初めての妊娠~19歳の終わりにわかった妊娠~

私の妊娠がわかったのは二十歳になるほんの少し前のことでした。

二十歳の誕生日の数日前に妊娠検査薬を購入してみたところ陽性…正直想定外なことだったので驚きと不安でいっぱいいっぱいでした。

心配で心配で産婦人科に行ってみたところ、かなり古い感じの、おばあちゃんと看護士さん1人ずつしかいない病院…さらに心配になりつつもおばあちゃんは笑顔で「妊娠してますよ」と言ってくれました。

しかし、もう少し近代的な病院でも診てもらおうと思い、別の産婦人科に行ったところ「今の時期は子宮外妊娠の可能性もあるので、◯日後にもう一度診てみないと妊娠確定とは言えません。」と言われ、子宮外妊娠なんて言葉も聞いたことがなかったので、とにかく心配で不安でした。

でも不思議ときっと赤ちゃんがいるとわかったときからお母さんはお母さんになるのでしょうね、既に赤ちゃんが無事であってほしいと思いながら毎日を過ごしていた記憶があります

。お父さんはお母さんと違って赤ちゃんができたという実感がこの頃はわきようもないんじゃないかなと思います。

ちなみにこの時の医者は女性でしたが、少々冷たく感じました。

この後産婦人科をかわるのですが、そこは男性の医者で、産婦人科となると女医の方が安心しそうですがそうでもないということを思いました。

月日は流れて、無事子宮外妊娠ではないということもわかり毎回の健診が楽しみであり赤ちゃんが無事か不安でもある日々を過ごしました。

幸い私はつわりが一切といっていいほどなかったのですが、やはりなかなか父性が芽生えないお父さんとの関わりで落ち込むことが多かったです。

私は妊婦でありとあらゆることを我慢するなか、父親は以前と変わらない生活を送っているように感じてとてもストレスでした。

今思えば、本当に父親が身勝手だったのかもしれないし、それとも妊娠中で私が落ち込みやすくなっていたのかもしれないとも思います。

どちらにせよ、これから妊娠する方には妊娠中は本当に繊細になるので何事も我慢しないで過ごして欲しいなと思います。

毎週のように携帯で今の赤ちゃんの様子はどんななのか、気を付けるべきことはなんなのかを調べていました。

途中、妊娠後期にさしかかるころに鉄分不足といわれ鉄錠を処方されました。

単なる鉄錠と思ったのですが、便秘などの副作用があり、こんなことならもっともっと食事で鉄分をとるように気を付ければよかったなと後悔しました。葉酸のサプリメントはとっていたのですが…。

有難いことに私も赤ちゃんも何も問題なく毎日を過ごし、予定日より2週間早く無事に出産することができました。

妊娠してみて経験した、人生で初めての減塩生活

妊娠中、私は産まれて初めての減塩に挑みました。塩味ってこんなに大事だったんだー!と気付いた出来事でした。

当たり前すぎて今まで気付かなかったというか…。その思い出について、ちょっと書いてみようと思います。

妊娠すると、赤ちゃんと母体の健康のために、定期検診を受けるようになります。

そこで尿検査をして糖、たんぱく、ケトン体に異常がないかをみるのですが…あるとき、私は二回連続でたんぱく+の結果を出してしまったのです。

どうやら塩分のとりすぎが原因のようで、先生から初めて減塩生活の指導を受けました。

特に濃い味が好きな自覚は無かったのですが、もしかしたら妊娠中で味覚が変わっていたのかもしれません。そういえば、一時フライドポテトやポテトチップスが妙に食べたくなったりしていました。

(ある程度の制限はしていましたが)しかし、赤ちゃんのためにもここで一旦食生活を立て直す必要があります。

ここで私がよく利用したのが、ポン酢です。

季節はちょうど冬だったので、毎日野菜たっぷりの鍋をして、ポン酢に少量の醤油を垂らしたものにつけていました。合うのは合うんです。しかし、やはり物足りないというか…。

かんきつ果汁に醤油が混ざったものをポン酢だと思って生きてきたくらいですから、美味しいとはいえどやっぱりちょっと我慢しながら食事をしていました。

ただ、焼き魚にはポン酢だけで十分でした。魚本来の塩味と相まって良い感じです。

それともう一つ、減塩生活にあたって買い足したものがあります。無添加のダシです。だしの素って、以外に塩分が沢山入っているんですよね。

調べるまで知りませんでした。

ダシはダシだと思っていました。お恥ずかしい限りです…。

つまり塩分を減らしたかったら、本当にダシ本来の風味のみを使用する必要があるんですよね。

そこで、インターネット通販が大好きな私は、早速食塩や化学調味料が無添加のダシを検索して購入しました。

今まで適当に安いものを買っていたのですが、ダシによってこんなにも風味が変わるんだなぁと驚いたのを覚えています。

何より香りが良いですし、これがあることによって味の薄さによる物足りなさをだいぶ補えました。

こうやって色々工夫してみて初めて、いつも当たり前に使っていた塩や醤油や味噌のありがたさ、美味しさを知ったのです。

お恥ずかしい話ですが…。

ソースたっぷりのお好み焼きを私の真横で頬張る夫にちょっとした恨みの気持を抱えたこともありましたが、つらい減塩生活の甲斐有って、たんぱく尿が続くことは無くなりました。

しかし、減塩生活で塩味の大切さより何より驚いたのは…体重が2キロ近く減ったということです。

つまり、適切量の塩分を摂っていなかったことにより、知らず知らずに身体がむくんでしまっていたのです。

それが、今までの塩分を見直して適正量におさえていくことで、ためこんでいた余計な水分が排出されていったようなのです。

妊娠生活のこうした経験から、産後(無事に元気な男の子を出産することができました)の今でも、むくみを感じる時には味の濃い食事を避けるようにしています。

 

いまやなつかしい胎動の思い出…痛かったけど良い経験でした!

初めて赤ちゃんの胎動を感じた時は、それはもう嬉しかったです。

それまでは、胎動というとお腹の内側からドアをノックするようにトントン!とされるイメージでした。

でも、実際に経験してみると、こんなにかわいらしいものではありませんでした。

いえ、こういう風にかわいくノックしてくれる時も勿論有るのですが、そうで無い時の方が多かったのです。

初めての胎動を音で表すならば、「うにょうにょ」でした。お腹の中で小さな虫がうにょうにょと這う感じです。

私の表現が下手なために、こう書くと気持ち悪いですが、実際はもっとこそばゆい感じです。

ですから、「ん?今のうにょうにょが胎動なのかな…?」と半信半疑だったのですが、頻回に起こってくるうちに確信に変わりました。

うにょうにょの時期を経ると、今度はトントンのノック期に入りました。

そうそう、これこれ!私のイメージしていた胎動はこれだよー!という感じです。胎動を感じる場所というのはころころ変わって、お腹のかなり下の方から今にも産まれたそうにトントントントン!とノックすることもありました。まだ出ちゃだめだよー!もしかして逆子なのかな?

足が出口に近いからトントンするのかもしれない…と予想していると、次の検診でエコーを受けたときに、やはり逆子になっていました。

さて、いよいよ妊娠後期に突入すると、今までのようなぬるい胎動ではなくなりました。

ボッコン!ボッコン!グイィーー!と私の皮膚を突き破らんばかりに手足を突っ張ってきます。

そういう時に自分のお腹を見ていると、赤ちゃんの足の形に動くんです。

あぁ、ここにかかとがあるのかな?と分かるくらいに突っ張ります。

そちらが引っ込んだと思ったら、次にはもう別の場所が出っ張って…といった感じによく動きました。

一番つらかったのが、ダンッとあばらを下から蹴りあげられるような胎動です。

これは本当に痛かった上に、結構頻繁にやられていました。

あばらを外から蹴られることはあっても(普通に生活していたらめったに無いことかもしれませんが)内側から蹴りあげられるのは、妊娠中だけです。

だから、痛さにくわえて違和感のようなものもあるのです。

これをやられるたびに「痛いよー早く産まれておいで!早くっていっても、ちゃんと正産期まではいてね!」なんて話しかけていました。

あばらを蹴られるということは、頭が下に来て足が上に来ているので、逆子が治ったということでもありました。それは嬉しかったです。

こうしてお腹の中を暴れまわっていた子を無事に出産したわけですが、その子は産まれてからもよく足を動かす子で、「脚の力が強いねー!」と言われます。

お腹の中から産まれてからもそのまんまだったのが、衝撃的でした。

二人めの妊娠生活は切迫早産と逆子でしたが無事出産しました

上の子が1歳半のときに二人めの妊娠がわかりました。二人めということで、精神的には少し落ち着いていられたかな?と思います。

無事に妊娠後期まできたのですが、そこで切迫早産と言われました。

入院しないといけないほどではなく、家で気をつけて生活するという程度ではありました。

自分では全く自覚もなかったので、どの程度気を付ければいいのかな…と気になりながら生活していました。

上の子もいてずっとじっとしているわけにはいかないので、気をつけつつもたまには散歩にでかけたりしていました。

(おとなしめの子だったのもあり)

さらにその次の健診で逆子といわれ、逆子体操をするように言われました。

切迫早産とも言われているので、これまたなかなかどの程度なら体操しても大丈夫なのか不安に感じた記憶があります。

でも逆子のままだと帝王切開になるとのことで、なんとか治ってほしいとおもいながら体操をしました。

逆子になるのは冷えが原因で母体が冷えているので、赤ちゃんがあたたかい母体の心臓の方に頭を向けているとも言われているようだったので、とにかく冷やさないように気を付けました。

また赤ちゃんの頭がまだ重たくなっていないからという風にも聞いたので、元々私が細目だったこともありちゃんとご飯を食べるように意識しました。

そのご飯もなるべく赤ちゃんにいいものをと思って、添加物や産地に気を付けるようになりました。

なかなか治らず、とうとう帝王切開の予約までいれて、次の健診で治っていなかったら帝王切開というところまでいきました。

が、なんと、次の健診で逆子が治っていました!

もうひとつ、二人めの妊娠ということで思ったのは一人めの妊娠中に妊婦用の服を買っておいたらよかったなということです。

二人め妊娠するかわからないし…と思って買わなかったのですが、普通の服で代用しようと思うとどうしても普段より1~2サイズアップのものを購入する必要があります。

ですが、出産後にはそれは大きすぎるので…結局ワンシーズン限りのものとなってしまってもったいなかったです。

切迫早産も臨月に入れば特に気にすることはないということで、臨月に入ってからはガンガン動きました。

また安産にきくと言われているハーブティーも飲みました。

そのかいあってか、予定日より1週間程早くに、なんと陣痛が始まってから二時間程で産まれてきてくれました。

上の子も思うように母親と行動できずに、ストレスを感じることもあったかな?とも思いますが、産まれてきた赤ちゃんは2歳ながらにかわいいと思うようで絵本を読んでくれたりしています。

30才以上で、慢性腎炎の持病がある私の初産の経験談

私には、慢性腎炎の持病がありました。ですから、お医者さんから「妊娠・出産は薦められない」と言われていました。

でも、4つ年下の弟が急に亡くなり、その半年後に父が亡くなりました。

父は亡くなる日の昼に「ワシの夢は、孫抱くことですねん」と言っていたと聞き、「私も、どうしても産みたい!」と思い、次にお付き合いした人と結婚し、そして相手の人の転勤に伴って、東京に行きました。

お医者さんからは「すぐに病院を探すように」と言われていたので、近くを探すと産婦人科がありました。私は、取り敢えずそこで尿と血液検査をしてもらいました。

「1週間後に来るように」と言われ、次の週に行ったら「妊娠してるけど、こんなにひどい状態では、大きな病院で診てもらわないといけない」と言われ、産婦人科と腎臓内科がある、日本医科大学病院を勧められました。

そこで、血液検査や尿検査をするのですが、いつもプラス3という状態で「いつ切迫流産するかもしれないから、安静にするように」と言われ、私はずっと知らない街で、夫が帰ってくるまで、不安と心配で泣きながら過ごしていました。

「血中酸素濃度が低い」とか、いろいろ不安な要素があり、私は「いつ安定期になるのだろう」と、つわりで苦しみながら過ごしていました。

病院に通うのに、都営地下鉄で行くのですが、まだお腹がふくれていない時期が一番つらいのに、誰も私が妊娠しているとは気付いてもらえず、ふらふらしながら見慣れない所で通っていました。

でも、母子手帳をもらった時、私は本当に嬉しくて、何度も何度も読みました。

栄養のことや、体重の増加を防ぐこと、妊婦が気を付けないといけないことなどを、暗記できるまで読んでいました。

相変わらず、私の腎炎は悪化していて、血尿もタンパクも、プラス4の時があり「いつ入院してもいいように、用意をしておいてください」と言われました。

無事安定期に入っても、腎炎は、ますますひどくなり、今まで以上に塩分制限を強いられました。

そして、8ヶ月の頃、また夫が神戸に転勤になり、私に負担がかからないようにと、車で東京から神戸に移動し、引越しは夫と、その部下の方と、引越し業者が全てしてくれました。

「里帰り出産」をする為、実家に帰ると、母が開口一番「あんた、スイカ丸呑みしたんか?」と言われる程、私のお腹は前にせり出し、自分の足が全く見えない状態でした。

結婚する前に受診していた総合病院にまた通院するようになり、そこで内科と産婦人科に通うことになりました。

しかし、30ヶ月の時、私の状態がひどくなり「このままやと、危ないから」ということで、陣痛促進剤を使うことになりました。

「赤ちゃんは、2800グラムあるから、大丈夫」と言われていましたが、私は不安で不安で、前の日の夜中は、ずっと泣いて過ごしました。

翌日、なかなか「いい陣痛」というものがこないので、点滴に切り替えられた途端、波のない陣痛が来て、それでも30才以上なので、なかなか子宮口が開かないのです。

つらい時間でしたが、なんとか頑張り、3時間と26分で、3997グラムの男の子を産むことができました。

私は、こんな持病もあり、年齢も決して若くないのに、元気で身長も55センチもある大きな大きな男の子を産むことができて、本当に幸せです。

しかし、お医者さんからは「自殺行為に近い」と言われたので、2人目は、諦めています。その分、1人息子に、たっぷりと愛情を注いで、育てています。

喜びの10年ぶりの妊娠~凄く悩んだけど羊水検査を受けてみました~

上の子を出産してから、仕事と育児に追われ忙しい日々。

なんとなく「もう一人赤ちゃんが来てくれたらいいな~」と思ってはいたものの中々授からずあきらめかけた頃、まさかの陽性反応。気が付いたら10年ぶりの妊娠です。

そう私は40歳になっていました。

主人も私も大喜びも束の間、お金の事・将来の事・娘の事、色々考えました。

特にお友達の家に遊びに行った時に熾烈な兄弟げんかを目の当たりにした事がある10歳の娘は一人っ子至上主義です。

家族が増える事が彼女にどのような影響を与えるのか?もちろん良い事が沢山あるけれど、今までにはない我慢が強いられることも想像がつきます。

ましてや赤ちゃんになんらかの障害があり、両親がその子につきっきりになってしまったら娘の人格形成に多大な影響を及ぼしてしまう事だろうと考えた私は羊水検査を受けようか悩みました。

産婦人科の先生に早速相談したところ、検査そのものにも流産のリスクがある事。

ただ年齢的にも検査による流産の確率よりもダウン症の確率の方が高い事を説明して下さり、私は16週目に検査を受ける事になりました。

検査までの日にち、お腹から長い針をさし羊水を抜くという検査の説明に完全に震え上がっていました。

また、両親や兄弟、友人に話しをしたところ賛否両論。

私の周りでは、検査を受けることに理解を示して下さる方もいる一方、否定的な意見も多かったのも事実。

それはそうですよね、結果次第では悲しい決断をしなくてはならない検査なのですから。

非人道的かもしれないし、ある人から見ればエゴと言われればそれまでだけど、私は今の家族に一番良いと思う選択をするまでです。

ただ、やっぱり色々考えて 気持ちが重たい日々でした。

さてさて前日から引き続き気の重さが最高潮に達している検査当日、朝10時に病院に着き、簡単な着替えをすませ手術台へ。看護婦さんと先生は超音波をあてなががら針を打つ場所を探しています。

お腹が映るモニターは私からも見える場所にありましたが、極力見ないように心がけました。やっぱり凄く怖いですから。

お腹には針がささる恐怖の瞬間、私は体に余計な力が入らないようにゆっくり呼吸することだけに意識を集中させていました。

だって絶対変に力が入ると痛みも増しそうな気がしたから。

ただ、思ったよりもするするとお腹には針が刺さり、まったく痛みがありません。

なんとなくお腹の深い部分に「ず~ん」というような重たい響きはありましたが、想像の10分の1程度の刺激でした。ものの10分程度で検査は終わり、しばらく別室で横になってから帰路につきました。

1か月後 ドキドキしながら病院に行ったところ、検査の結果は陰性。凄くホットしました。

ちなみにその時性別も教えて頂き凄くうれしかった事を覚えています。

今は無事出産し、忙しいながらも楽しい毎日です。

羊水検査を受け、結果が出るまでの2か月は今まで考えもしなかった事を本当に色々考え悩んだ日々でした。

結果は陰性でよかったですが、羊水検査を受けたからこそその後の妊娠ライフも安心して過ごせたと思います。

 

 

悪阻が酷く、良い思い出はありません。でもとても良い経験になりました。

私の妊娠中の思い出は総じて辛いものでした。

雑誌などではよく「充実したマタニティライフ!」などと書かれ、妊婦の方が幸せそうにお腹を触っている写真が掲載されていますが、私はそれとは全く違ったマタニティライフを送りました。

ある朝いつものように会社へ向かっていると、急にひどい目眩に襲われました。

その時は駅のホームにいたので、すぐに椅子へ座り休憩しました。

目眩がやむと次は猛烈な吐き気に襲われました。

急いでトイレに駆け込み、そのまま仕事へ行くことができませんでした。

病院へ行くと、妊娠4週目であることがわかりました。

妊娠4週目でこんなに悪阻ってあるものなの!?とビックリ。

でも、赤ちゃんを授かったことはとても嬉しく、夫もすごく喜んでいました。

大抵の悪阻は安定期とともに落ち着きますと医師から言われ、私はそれまでの辛抱だと自分に言い聞かせました。

しかし、悪阻は日に日に酷くなり、30分おきに嘔吐するようになりました。

夜も眠れず、食事をとるなんて以ての外、水分さえも吐いてしまいました。1週間で体重は7kgも落ちました。

あんなにダイエットを頑張っていた時は全然落ちなかった体重が、削ぎ落とされるように落ちていきました。

10日目に私は自力で立てなくなり、意識を失って床に倒れているところを夫に発見されました。気がついた時は、病室で点滴を受けていました。

夫は医師から「あのまま放っておいたら命に関わった」などと叱責を受け、私にももっと体を大切にしなさいと注意しました。

初めての妊娠だったため、悪阻の程度が分からずついつい頑張り過ぎてしまったのです。

これが一般的な悪阻だろう、みんなこれを乗り越えているんだと我慢した結果、このようなことになってしまいました。

点滴は、栄養剤に吐き気止めを混ぜたもので、吐き気止めのおかげで以前ほど嘔吐を繰り返すことはなくなりました。

しかし、それでも食欲は戻らず食べては吐き食べては吐きを繰り返しました。

すぐに退院できると思っていましたが、結局半年も入院することになりました。

点滴を外すと悪阻の症状が強く出るため、医師からはこのまま入院して安静にしておくように言われたのです。

退院したのは、妊娠8ヶ月頃でした。悪阻は完全には終わらず、結局出産するまでずっと続きました。

産月には赤ちゃんが大きくなることで胃が押されて、悪阻とは違った気持ち悪さがありました。

残念ながら、妊娠中の写真は一枚もありません。

でも出産をして無事に赤ちゃんと対面できると、今までの辛さは吹っ飛びました。

今では貴重な経験をさせてもらったと思っています。